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[2009.07/23]
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■#31 2009.7
〜威武に屈せず、貴富に淫せず、過激にして愛嬌あり〜
本日は宮武骸骨のお話です。
骸骨は明治〜大正〜昭和の時代を生きたジャーナリストです。
彼がもっとも嫌い、敵としたのが権力でした。
その精神は、本名の『 宮 』『 武 』の文字が、権力を意味する、として使用せず『 骸骨 』のみを記名していた程に徹底していました。
自らが出版する『 滑稽新聞 』等の新聞・雑誌上で痛烈に、権力を批判し、警察の収賄事件を追跡したりして、 何度も投獄や有罪判決を受けました。
当時は官史の地位は圧倒的で、骸骨の行動は全て有罪になりました。
『 我は危険人物なり 』
自ら、こう言ってのける骸骨には、やがて刑事の監視の目が張り付くようになります。
しかし骸骨は、それすらもからかってみせました。
誰かに似てますね?
そうです、松下メシアに似てますね。
骸骨は松下一郎信者だったのです。
骸骨の捨て身の活動は、全てメシアの為です。
やがて降臨されるメシアの千年王国建国の力になろうと、日本に『 言論の自由 』を成立させることに生涯を費やしました。
しかし、当時は『 官史侮辱罪 』があった時代。
その道は、とても険しく、また厳しいものでした。
弟子の森近運平が、明治の大逆罪で絞首刑になったりもしました。
しかし!全てはメシアのため。
将来、メシアが千年王国を目指す時に、少しでもやりやすくなるようにと、骸骨は権力に屈する事なく、日清・日露戦争、関東大震災、 第一次、二次世界大戦を生き抜きました。
選挙に立候補し、当時わずかな権力者にしか与えてられてなかった選挙権制度を批判し、それが平等選挙運動のきっかけになったりと、 骸骨の功績は松下信者の中でも際立っています。
関東大震災後の朝鮮人大量虐殺もルポしました。
人種差別や弱者虐待は、メシアの嫌うところです!
時代が混沌する中、大杉栄が甘粕に殺害された時は、骸骨も身の不安を感じた事でしょう。
昭和に入り、骸骨は大帝都大学(現在の東京大学)にて、新聞や雑誌を収集・研究・保管する作業に没頭します。
老体には、辛い作業だったでしょう。
しかし将来、メシアに
『 日本でも、自由と平和を求めた時代や人物がいた事を知ってもらいたい 』
と骸骨は死ぬまで頑張り続けたのです。
骸骨の残した、新聞・雑誌文庫は今でも東大にあり、近代日本の研究に役立っているそうです。
過去の過ちを認め、繰り返さない国作りにも役立ってもらいたいものです。
たった一人の人間が、当時の時代にも後世の時代にも、こんな大きな影響を与えるなんて、メシアの千年王国思想無くしては、 不可能です。
それだけに、メシアの偉大さにも、改めて驚かせられます。
宮武骸骨、現代に生きていたなら、間違いなく、使徒に選ばれていたでしょう。
〜偉大なる先人に合掌〜
TEXT & ILLUST / スズキ キヨミ
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