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Vol.17 「 ダイヤルM を廻せ! 」
会社で仲よくしている連中と、車で水族館に行った事がある。
そのメンバーには、なぜか彼氏に殴られている新入社員も入っており、俺と後部座席に座っていた。
メンバーは全員、タバコを吸う。
後部座席の灰皿は小さく、すぐにいっぱいになった。
それでも構わず吸っていたら、彼氏に殴られている新入社員が、スッと手の平を差し出して来た。
『 ここに、灰を落として下さい 』
と言った。
車内の全員が驚いた。
『 え? 何で? 』と聞いた。当たり前だ。誰でも聞くだろう。
『 あっ、そっ 』と言って、フツーに他人の手の上に、タバコの灰を落とす奴がいるだろうか?
もし、いたら、そんな奴って一体、何様?
女王様?
それはさておき、俺の質問に、彼氏に殴られている新入社員は、こう答えた。
『 私は、空手を習っていたので、手の皮が厚いから大丈夫です 』
…そんなもんなの?
確かに手は、大きめだが、皮が厚いかは解らなかった。
当然、断っていっぱいになった灰皿に灰を落とす俺に、彼氏に殴られている新入社員は、
『 遠慮しないで下さい! 灰を落として下さい! どうぞ、ここに!』
とさらに、手を伸ばす。
嘘だろ? 冗談だよね? ウケたいだけでしょ?
…冗談じゃないみたい…。
手は俺のタバコの下だ。
何とか、差し出された手を引っ込めてもらいたかった。
話を膨らまして盛り上がったらどうだろう?
『 か、空手って、極真?』
『 いえ、極真は厳しいんで 』
『 あ、そうなん?』
『 はい。でも、手の皮は厚いです!どうぞ!』
…逆効果…。
『 遠慮しないで下さい!ほら!私、全然熱くないですよ!田中さんもどうぞ!』
とドンビキしている俺に、全く気づいていない様子で、彼氏に殴られている新入社員は、自らのタバコの灰を落として見せる。
そして、ずいっと俺の目の前に、手を突き出す。
…もう、車から下ろして…。
俺、タクシーで帰る…。
こいつはMだ。ドMなんだ…。
だから、彼氏に殴られ続けても平気なんだ。
なんか俺、隣に座ってロックオンされた感じ…。
見かねた、助手席の女子社員が、助け舟を出してくれた。
『 あんた、しつこいよ!M?田中さん、ハイ!』と言って、前の灰皿を差し出してくれた。
助かった。
GSに入って、灰皿をキレイにするまで、俺はタバコをくわえる度に、彼氏に殴られている新入社員の、視線と、
エレガのように差し出された手に、脅かされた。
Mの欲望の強さを目の当たりにして、心が折れた俺は、水族館でウミガメの可愛い目に癒やされた。
ウミガメをずっと見ていたが、水をかくヒレになった前足が、何故か嫌だった。
何でだろう? 今までは可愛いと思っていたのに…。
何か、嫌なものを思い出させるような…。何だ?
『 田中さん、カメ好きなんですかぁ 』
あの女が来た!
そう、彼氏に殴られている新入社員だ!
笑っていやがる!
俺をMの恐怖のどん底に突き落としたクセに!
その時、ハッとした!
思い出した!
泳ぐウミガメの前ヒレの角度は、こいつの、あの時の手の角度に似ている!
灰を捨てようとする度に、シュッシュッと出てきた、こいつの手…。
水中を進む度に、シュッシュッと、水をかく、ウミガメの前ヒレ…。
せっかく癒やされたのに…。
Mの圧力から逃げられなかった、狭い車内の気持ち悪い空気を思い出し、どんより、げんなり、しょんぼりした。
翌日、会社で彼氏に殴られている新入社員と並んで仕事した。
『 田中さん!昨日は楽しかったですね!』
…いや、全然…。
『 夏になったら、海に行きましょうよ!』
…絶対、嫌!
もちろん、そう答えられるワケもない俺は、こう答えた。
『 う〜ん、それまで、生きてられるかなぁ?』
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